それが誰か自分以外かもしれないし、人でなく時間かもしれない。
或いは自分の身近にあるモノなのかもしれない。
自分が感じるもの、他者が感じるもの。
それが不幸であれ不運であれ、絶望ではきっとない。
自分自身が救われるきっかけがある状態なら、それはきっと不幸と呼ばない。
ただちょっと幸せや喜びに辿り着くための寄り道。
もしくは神様が与えた自分自身の成長の機会。
通らなくては行けない定められた運命。
――人生はいばらの道。
簡単には進めないからこそ、人は悩み苦しみあがくもの。
でもその中に光が差せば、それは一転幸せになる。
だからこそ、その光がある内は、不幸じゃないと思うんだ……
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昨日、美容院で髪切りに行って、
その後姉とその友人と母親でランチした後、
姉とその友人とで遊びに行って思ったこと。
精神状態がかなり普通
ということ。
8月末位くらいから、4月からの落ち込みから復活してきつつありましたが、
今回、「ちょっと遊びたい」と無性に思ったことにより、
色々他のことに関心示す程度になったんだなぁーとしみじみ感じました。
多分、4月・5月は実感湧かなかったのと、漆黒あったお陰で現実逃避出来てたから
5月後半頃になってようやく実感湧き出して、虚無感が発生したんだろうな。
ここ数日は、至って感情も普通で、元気で。
とりあえず、真面目にバイト探しでもしようという気になってます。
本格始動は多分来週位からだろうな。職探し自体は今でも充分可能ですが。
私の場合は、感情解決してくれたのは時間だったな。
冒頭の件が長くなりましたが、
今回で思ったことを、哀における歩美っぽく表現してみた。
この手のことを語るのはもの凄く好きなんですが、
大概、途中から何言ってるのか・何言いたいのか分からなくなってくるんだよな。
……うん。唯一の欠点は個人的にそこだ。
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